相談会セミナーについてタイトル

吃音相談会は、1985年のほっと神戸発足の翌年から、震災の年を除いて毎年行なってきています。伊藤伸二(日本吃音臨床研究会会長)の講演は、どもる大人や子どものどもりに悩む親に、励ましと希望を与えてくれます。
セミナーは「よりよく生きる」をテーマに行なっています。
これまで、人間関係やコミュニケーション・心理療法・笑いとユーモァのセミナーを行ないました。セミナーイメージ006
今年も「心の健康と幸福」を考えるセミナーを行ないます。
ほっと神戸のセミナーは吃音の方だけでなく、どなたにとっても役に立てるものだと思います。ご自由にご参加ください。




2012年5月に開催した、アドラー心理学講演会のレポートを掲載します。

アドラー心理学講演会

『自分を変えれば世界も過去も変わる』

           講師:岸見一郎先生

自分を変えるとは、意味づけを変える事です。この世界をどう解釈するかと、見方を変える事です。私たちは同じ世界に生きていますが、どんな単純なことでも、人の思いは違います。自分が意味づけした世界に生きています。

どなたか、簡単な事を言っていただけませんか?
Aさん:「暑いですね」
暑いですねと、言われました。そう聞いてどう思われましたか?

・日差しが強い。
・汗をかいた。
・日傘を持ってきて良かった。
・暑い中を頑張って来た。
・Aさんは、暑いと感じている。

Aさん、どうでした。
Aさん:みんな違います。
では、どういう意味ですか?
Aさん:水を飲みたいと思いました。
こんなシンプルなことですら、人の思いは違っています。人は世界や、生きていること、対人関係について、様々な解釈をしています。自分がどう見るかという意味づけが変われば、この世界は必ず変わります。

自分が思っていることしか見えない。

子どもと食事に行った時のことです。
ウエイトレスさんは「お一人様ですか?」と言いました。目の前には二人います。私の横に子どもが居るのに、そう言います。
ウエイトレスさんは、平日の昼間に父が子を連れて来る事は決してないと思っているからです。私はつい嫌な顔をしたようです。
そうしたら・・・「三人様ですか?」と言います。
目の前に二人しかいないのにそう言います。背後霊がいるのかと思った(笑い)。ウエイトレスさんは、家族連れで来ていて、母親は外にいると思ったようです。ウエイトレスさんは、起こりうる過ちをしました。自分の思いで世界を見ているので、目の前にいるのが二人であっても、一人になったり三人になったりします。

誰の課題か

ある事の最終結末の責任は誰かと考えれば、誰の課題かが分かります。
子どもの事でカウンセリングに来られた方に「勉強は子どもの課題です」と言うと、ほとんどの親は「え!子どもの課題ですか?」と、言います。
親の課題でなければ、原則として子どもの課題です。人の課題に手出し口出しをしてはいけません。対人関係のトラブルは人の課題に踏み込むことから起こります。
親に「勉強しろ」と言われると、子どもは感情的に反発します。勉強の事を言わなくなったら勉強しなくなることもあります。勉強しない人生もいい。子どもたちは必要になったら勉強します。手遅れはない。ほっといても大丈夫です。

親子関係の在り様

私が運転免許を取りに行っていたときです。路上試験の時に、私は急ブレーキを踏みました。でも、検定中止になりませんでした。それから先の事は記憶が真っ白になって覚えていません。指導員は「危なかったね。あの時補助ブレーキに足をかけたけど踏まなかった」と言われました。合格しました。
これが親子関係の在り様だと思います。あの時ブレーキを踏まれて、検定が中止になっていたら、指導員に逆恨みをしていたかも知れません。
先に手出しをされたら、感情的なことしか残りません。子どもの状況を把握した上で、信頼して手を出さないのです。

周りの人の言動には良い意図がある。

多くの人は、周りの人の言動を善意に解釈できません。相手の言動を違う解釈が出来ないかと考えることです。
母は49歳で亡くなりました。私が25歳で、父が55歳になる定年退職の年の春でした。父は退職してから、横浜に嘱託の仕事に行きました。55歳の10月に横浜に行き、65歳で関西に帰って来ました。そして滋賀県の妹夫婦の近くに住みました。車で5分の所に住み、夕食だけ妹夫婦と一緒に食べます。私といたくないから妹の近くに住むと思っていました。
ある日父は妹が病気がちなので心配だから、近くに居てやらんとアカンから妹の近くが住むのが便利だと言いました。

その人との関係を改善するには、相手の言動の中に良い意図をさぐる努力を我々がしていかねばならない。
近い間柄の人とは、関係が良いほうがいいです。どんなに相手が間違って、私が正しいと思っていても、私は正しいという思い込みがあれば、相手との権力闘争になります。けんかを回避するにはけんかから降りるしかありません。もしけんかして勝ってしまっても、相手は裏に回って復讐を始めます。

信頼

息子が小学生の時です。おしゃべり息子です。食事の時もいつも話しているから、食事が進みません。父が家にきたら「しつけはどうなっているんだ!」と言われます。
息子に父が家に居る三日間だけ席についてくれないかと相談します。そこで息子に「分かっているな」と念を入れて聞いてはいけません。言ったらダメです。言ったら信頼関係を損ねます。そう言わないのは勇気がいります。
伝統的育児は即効性がありますが、命令や怒りの感情を使うと、その人との関係が悪くなるから使いません。

一歳の子どもでも自分の置かれている状況が分かります。子どもが保育園に初めて行った時です。保育士さんに「うちの子は1分間だけ泣いたら、泣きやみます」と言って帰りました。
子どもは泣き出しました。保育士さんは、本当に1分間だけだろうかと、時計を見ていたそうです。1分以内に泣き止み、かかわってくれた。

中性の行動について

中性の行動(適切な行動は他者に貢献する行動、不適切な行動は、他者に実質的な迷惑を及ぼす行動です。中生の行動は、不適切でないが、適切でもない行動です。例えば講義中に居眠りしている行動です)は本人にしか及びません。対処は①自然の結末に委ねる。雨が降っていました。子どもが傘を持たないで出かけました。子どもに声をかけないでいると、子どもは自然の結末を体験します。致命的なことでなければ子どもにゆだねます。雨に降られてから、息子は天気予報の降水確率を見るようになりました。
②ルールにまかせる。ルールがあれば叱る必要がありません。多くのルールは適切でない場合がある。国の法律でもそうです。共同体の維持運営のためにルールができています。ルールに例外があったらだめです。
③論理的結末の予想をお手伝いする。「このままだったらどうなると思う?」と一緒に考えます。プレッシャーを与えずに皮肉や威嚇をしない。
シンナー中毒の人に対してする厚生指導には説教しません。医学的なビデオを15分間見てもらう、そのビデオはシンナーの害悪を淡々と説明している。始める時に生レバーにシンナーをかける。見終わったらレバーが溶けている。「君たちの脳もシンナーでこうなります」と、言うだけです。

過去は変わる

昔の事を聞かれた時の早期回想で、ある日、ある時こんなことをしていた記憶が思いだされます。あらゆる記憶を覚えているわけではりません。一回きりのエピソードであっても、過去の記憶は今の自分と無関係とは絶対に違います。
過去も現在の自分にとって、必要なことしか思いださないのです。人は決心すれば、ある記憶は消えます。
「犬を見かけても。走ったら追いかけてくるから、走らないように」とお母さんから言われていました。ある日、大きな野良犬がいました。言われたとおりに、彼はジッとしていました。それなのに彼は犬に膝を噛まれました。 彼のそれから先の記憶が途絶えています。その先のストーリーを思い出せません。こんなことがあってから、彼はこの世界はすごく危険な所だと思っています。そして「大人の言う事を安易に信じてはいけない」と彼は思っていました。
その後彼は忘れていた事を思い出しました。見知らぬおじさんが自転車の荷台に乗せて病院に連れて行ってくれたのです。こうなると、「この世界は危険で人言うことを聞いていたらひどい目にあう」というのでなく、「困った時に人は助けてくれる」というストーリになります。
意味づけが変わると、過去だって変わるのです。

向こうから人がやってきた。数秒後にすれ違います。その人に好意を持っていて、声をかけようと思った時に目を逸らされました。
どういう気持ちになりますか?
・私を嫌っている。
・私は避けられている。
そういう風に解釈すれば、相手と関係が深まらない。変わらないでおこうという決心を、解除しなければならない。

〔質疑応答〕

Hさん:
受験生の子どもがいます。私の体験を話して、勉強に励んで欲しいと思っています。

受験生には、メッセージを送らなくていい。体験談を話すことがメッセージを送ることになります。話をするとしたら、手続きを踏んでからです。「最近のあなた、余り勉強していないように見えますが、話をしたいけどいいかな」と言って「聞きたい」と言われたら、話をしてもいい。
現状では、話の狙いがはっきりしている。だから、「お前も頑張れよ」というメッセージが入っているとしんどいかもしれない。
「参考書だけじゃだめだ。塾に行け」のように言ったり、罰したり、叱ったり批判すれば、関係が悪くなります。
関係を良くするには時間がかかりますが、関係をこじらすのは一瞬です。

Sさん:
私はカウンセリングを受けたことがあります。過去の出来事をカウンセラーに聞かれました。過去の出来事があったから、今こうなっていると言われました。カウンセリングを受けてきましたが、あれは間違いでした。過去の迷路に迷い込むだけでした。未来を重視することについてお聞かせください。

過去には戻れません。過去に問題あったとしても。過去を原因にすると、ほとんど治癒不可能です。目的は過去でなく未来にあるからです。未来なら変える事ができますし、目的は人の中にあるので、過去や外的なことは変える事ができなくていいのです。多くの親にとって、子ども時代の育児に問題があると言われても困ります。過去に戻れません、今から始めるしかありません。
保育士さんが子どもの行動に、過去を原因にしました。
保育所で、子どもは保育士さんが話し出すと、聞かずに壁を向いてばかりいました。保育士さんが私に、お子さんには母親の影が見えないと言います。私は記録を一生懸命書いて提出していましたが「記録は母が書かなければ」いけないと言われます。子どもが話を聞かないのは、母の姿が見えない・母親の愛情が足りないからだと思われています。
子どもが話を聞かないのは保育園で行なっているのであって、行動の相手役は親でなく、保育士さんです。保育士さんの話がつまらないからです。
自分のことについても、あなたが自分で決めたことであれば変えられる。

Kさん:
私は、劣等感を持っています。自分が好きになれない。人と比較して、自分の悪いところが気になってしまう。

あなたは、自分のことを好きにならないでおこうと決心されている。ご自分を好きになって欲しい。この私しかいません。新製品を買い替えるように私を取り替えることはできません。この私と、ずっと付き合っていかなければならない。短所と思う所を長所に思いましょう。例えば、飽きっぽい人は「決断力がある」のように。
自分が人の役に立てていると思えることで、自分が好きになれます。あなたがここにいてくれるのは、僕はすごくありがたい。みなさんの反応を確かめながら話をしています。あなたが、ここにおられるだけで充分に貢献しています。
他の人に「役に立っている?」と聞いてください。
努力なしに世の中は変わらない。待っているだけでは変わらない。誰かが変わらなければ、誰か一人が変るという決心をされれば家族が変わる。

Kさん:
39歳の息子がバツイチです。家に同居しています。家で同棲生活を始めています。初めは彼女を遊びに連れて来ていいかと聞いた。それから、一ヶ月に1~2回遊びに来るようになり、そして家に居るようになって一年以上経っています。これからの事をはっきりするように「どうするつもりや」と聞いたら、「分からん」と言う。「二人が決めることだから、二人の責任やで」と言っている。

あなたが子どもに嫌がられていたら、絶対に一緒に住みません。嫌な親だったら、彼女に合わせない。あなたはみんなに好かれています。
息子さんの課題なので、子ども任せる。親は子どもの人生の責任を取れない。もしあなたのことばで二人が分かれて不幸になったら、あなたに責任転嫁されます。恨まれます。子どもがどうするかはお任せする。
うまくいかなくなって分かれても、「言っていたとおりだろう」と息子さんに言ってはいけないんですよ。不用意に介入するとこじれますよ。

Kさん:
息子が「そろそろ、はっきりしなければと思っている」と、言ってきました。

それで、親と子の共同の課題になりました。子どもの課題に「こうしなさい」は言ってはいけない。しばらく静観し、一回言ったことはもう言わない。

Iさん:
中学生と小学生の兄弟がいます。長男と次男に対する接し方についてお聞きします。

当然違う。人が違ったら、接し方が違う。親が同じように公平に接しているつもりでも、受け取り方は違います。
ライフスタイルを自分で決めます。兄弟の間に強い競争関係がある時や、注目されない時に違う性格を選びます。激しい競争関係がある時、褒めたり叱ったりする教育をしない。勝ち組・負け組みを作らない。
自分を好きにならない。好きな人にアプローチして、受け止めてもらえないのは辛い。辛い目をするのだったら、初めから対人関係を築かないでおこうとする。自分で好きでないから、人が好きにならないのは当然です。
こんな私やから対人関係はうまくいかへんと諦めてしまう。
赤面症があるから積極的に異性と付き合えないという子がいる。初めから自分を守っています。人に好かれないことを認めたくないから赤面症を理由にしようとする。赤面症で悩むことより、それを上回るメリットがある。自分が傷つかないでおこうとするメリットがある。
子どもの適切な行動に関心を持って「ありがとう」と言った方がいい。操作性を持った下心は相手に通じます。下心がないようにする。子どもたちが貢献感を持てるための、援助する。普通にしていたらだめだと思っているから、特別に不適切な行動をする。
例えば子どもがいつまでも昼夜逆転している。その子どもが大きな音楽をかけている。手続きを踏まないで、いきなりカッとして叱らない。「話したいことがあるけれど・・・」と言う。感情的になる必要がない。毅然とした態度で話すだけです。
威圧的な態度は、感情がこもっている。携帯で前の女子大生が電話で話し始めた40代の男性が「車内で電話するな!」と、大声をだしました。私もその時携帯を出して、メールチェックしていたけど、思わず携帯をポケットに入れてしまいました。
毅然とした態度は、感情を込めない。特急の車内であっちこっち座る人がいました。無賃乗車です。車掌は「あなたは切符を買っておられません。降りてください。」と、言いました。女子大生が「カッコいい」といった。怒らないで、毅然とした態度を取る。

子どもが手にコップを持って歩いていてミルクを飲んでいます。「どうしますか?」と聞くと、「止める」とお母さんたちは言います。ミルクをこぼした時は、お母さんが拭くのは過保護です。子どもが責任を取って拭く。 ミルクをこぼしたら、子どもに「こぼしたときに、どうしたらいいか知っている?」と聞きます。子どもは「知っている。雑巾で拭く」。「じゃあ拭いてくれる」。拭いたら「ありがとう」と言う。
「これからこぼさない失敗しないためにどうしたらいい?」子どもは「これからは座って飲む」と言って座るようになりました。
感情を使ってない。できるという信頼があるから話ができます。
あきらめてしまったら進んでいけない。

Aさん:
「けなげやなー」

「人間扱いです」「対等の関係です」できないと思うのは子どもを見下している。

Tさん:
妻から小言を言われています。「廊下の電気が点いたまま」「コップがしまっていない」「口をクチャクチャ言わせて食べるのは嫌い。やめてくれる。クチャクチャなっている。今年になって3回もあった」と、言われています。
私は「たった3回やろう」と、思いました。

 

できすぎる夫に、妻は劣等感を持つものです。奥さんは反逆にでている。細かいところまで、あなたに注意を向けています。権力争いです。そこからは降りるしかない。彼女を下ろしたら怖いです。彼女が嫌だと感じたのは事実だから、彼女が貢献感を持てるようにする。彼女のいい所に注目する努力をしてください。顔が引きつりながらでも「ありがとう」と言わねばならない。
僕がやった方が早いからと、家事を先にしてしまうと、強い劣等感を持ちます。育児を二人でやっていくことです。彼女は仲良くしないでおこうと、決心している。彼女の決心を解除するには、何気ない時に、話し合いが必要です。お互いのコミュニケーションの時間がない時は、子どもを預けて話し合いをする。
病気や育児の時は、追い詰められて余裕がなくなります。優秀な人がいると、周りの人は劣等感を持つ。無能な夫役をするのです。

Oさん:
私は過去を重視するタイプです。行動思考パターンは、これまでの経験から確率を重視して選択しています。それにアドラーを加えたいと思っています。

必ずしも人の行動パターンは確立されていると思わない方がいい。昨日まで同じ事をしていた人が今日は違う事をしまう。
  ひょっとしたらこの人は変わりうる。この人に初めて会う気持ちになる。 こちらがそう思っていたら、過去はしばりになる。今日は少なくとも違うことが起こると思って付き合う。パターンに捉われていると見えない。

〔感想〕

Iさん:
心理学というと堅苦しく、難しいイメージがありましたが、岸見先生の講演は具体例の話が多く、分かりやすかったです。
特に子どもに対する接し方については、大変勉強になりました。子どもの為を思ってしていた言動が、親の決めつけからの押し付けになっていることが分かりました。
人の感じ方は様々で、ついつい自分中心の考え方を優先させてしまいます。「2歳の子どもにも、一人の人間として接する」これは難しいと思いますが、子どもを尊重するという意味で素晴らしいと思いました
。 子どもを信じるという事、もちろん信じていますが、親の言動によって信頼されてないと思われてしまうのですね。
変わらないことに安心している、変わることを怖れている、という話は、自分の心の中を見透かされているようでした。吃音で悩んできて、いろんな事を責任転嫁してきて自分にとっては耳の痛い話でした。劣等感を持ち続けてきた自分には「貢献感を持つことが大事である」という事も勉強になりました。貢献感というものが、対人関係において重要だという事も分かりました。
まだまだ先生の話を聴きたかったので、講演会は短く感じました。もっとアドラー心理学を学びたく、先生の講演を聴きたいと思いました。ほっと神戸で講演会を企画していただいてありがとうございました。

Mさん:
久し振りの岸見先生の講演会。やはりいいお話でした。冒頭の「相手が何を考えているかを知るには、相手に聞くしかない」で、いきなり先制パンチを浴びた気がしました。(私は相手の気持ちを尋ねるのが、億劫なのか、本当に苦手です)それから、「自分の都合の良いように世界を意味づけている」という指摘に、そうかも知れないと思いました。生きていくのって、難しいものですね。
Tさんの夫婦間のいさかいについての質問内容は、私のとことほぼ同じ状況です。権力争いをやめるしかないのかなあ、とは思いました。

Nさん:
二人の子育てをした私にとって子どもが成人を過ぎていても、無意識に口出し・手出し・手伝う事を多々致しております。
アドラーを学び、ずるずる自己流で過していました事に愕然と致しましたが、スイッチを切り替え実行致したく思いました。孫たちにも即適用で来ますので、とても有り難い学びです。
対人関係自分を変える・違う見方をする。「人の課題に土足で踏み込まない」この一言が今でも脳裏から離れません。
対人関係を良くしたいのなら、よい意図があると思う。私が正しいと思っていても喧嘩から降りること。私はつい降りるのが遅くなり気まずい思い不満な思いを致します。私が先に相手を信頼する。よくわからない事があればどういう意味か尋ねる。憶測で見たり受け止めない。

Hさん:
岸見先生による「アドラー心理学」の講演会に参加した。一昨年に続き2回目の参加となった。岸見先生の優しさ溢れる話し方とウィットに富んだ内容に心が惹かれていった。「気づき」や「相互信頼」「貢献」といった日常において考えさせられる内容であっただけになおさら私自身が吸い込まれていったのであろう。
講演時間の2時間半があっという間に過ぎ去っていった。前半に岸見先生の講演があり、後半は質疑応答に時間を割いて下さった。質問内容も身近に感じられるものがあり、人間関係に悩む者にとっては、はっと気づかされることがあり収穫の多い講演会だった。
心が洗われる思いと清々しさで帰途に着いた。まるで摩耶山をいっきに登り切った後の清々しさのようだった。また、私の質問にも丁寧にお答え頂いた。受験期の子供を持つ親として子供とどう接してしていけばよいかという主旨の質問をさせて頂いた。子供と相互に信頼関係が築かれておればあえてメッセージを送る必要がないとお答え頂いた。つい子供と接点を持ちたいが為にメッセージ性のあることを言ってしまう。ましてや自立している子供に対してメッセージは必要でない。普段の会話にも思いやりと自制の心を持たなければならない。遠くから温かく見守ってやるのが親の姿であろう。もし岸見先生が精神科のカウンセラーをしていた時分ならこう言ったであろう。「もう少し大人になりなさい」と。人は自分を客観視しそして気づくことは難しい。これからは少し疎かになっている日記を付けようと思った。もう少し大人になるために。

Oさん:
「実行」、確かに言葉で飾ることは容易だと思います。
講演会のあった5月27日以降、取り敢えず身近な「実行」としましては「挨拶」をしています。いくら面と向かって挨拶しても返事がない相手に、今は何も考えずに挨拶をしています。以前までは、多少なりとも不快感はありましたが、「何も考えずにおこなう」ことを実行しますと、
つまらない感情で縛られず、ただ挨拶をするという、しかし、とても清々しい爽快感が得られることに気が付きました。
なるほど「自分を変えれば、世界が変わる」の末端を、ほんの僅かですが理解出来たような気がします。

〈その他の感想〉
・けんかになるなら自分が正しくても舞台から降りる。
・対人関係の悩みを皆が抱えていることが分かりました。
・仕事の上の対人関係で他の人の考え方も受け入れる。
・自分が考えてきた事と同じことがあった。
・人の課題に踏み込まない。
・誰の課題かを考えたらアドラーは分かりやすい。
・手を上げて質問できた。吃音相談会でいただいたアドバイスが活かせた。
・対等の関係が大事だと思いました。
・ほとんどの人が押し付けの教育を受けてきている。
・過去を振り帰らないで、これからを考える。
・理想を追求する。
・子どもを信頼する。
・子どもに同じ事を言わない。
・人の考えは分からないと思っていた方が無難だと思った。
・目的論が印象に残った。
・講演会が終わった後に先生に話をしに行く気持ちが分かります。
・司会の方がメチャクチャ吃って話していたので、ほっとしました。
・吃って司会してもいいんやと思いました。




2010年12月に開催した、アドラー心理学講演会のレポートを掲載します。


『幸せになるために』

           講師:岸見一郎先生

アドラー心理学のこと

アルフレッドアドラー(1870~1937)が創始した。同時代に生きたフロイトやユングが個人の心に関心を持ったのに対し、アドラーは対人関係に関心をもった。

*常識との決別

常識を疑い、常識をすてる心理学です。

1.過去との決別(原因を過去に求めない)

私は以前カウンセリングの時に生育歴を聞いてきました。これまでの生育歴を聞いてもこれからの人生に役立ちません。過去は要らないと、思い切らないと我々は変わることができないからです。私がこうなったのは、過去にこんなことがあったからと、過去の出来事や他人に原因や責任を押し付けて、私には責任がないといわれます。過去を捨てないと、原因を過去のせいにして、それを繰り返すだけです。

例: 過去を聞くカウンセラー

「大変でしたね。苦労されましたね。」とカウンセラーが言い。患者が泣き、カウンセラーも一緒にもらい泣きをする。クライエントは「今日はすっきりしました。あの人が悪かった」と、責任転嫁をして終わる。 1時間のカウンセリングで その方の人生が変わらないとウソです。

責任転嫁の例:

私は子どもの保育所の送迎をしていました。「お父さんが連絡帳に書かないで、連絡帳はお母さんに書いてもらってください」と、保育士に言われました。子どもと保育士の関係がうまくいかないのは家庭環境の為だと言われました。
この話を聞かれると分かると思いますが、「お母さんが書かないとダメ」という考えは、母性が子どもに大事で、私の家庭には母親の影がない、あそこは父子家庭のようだといわれています。母親のいない家庭は全て父子家庭です。それでは父子家庭は全てダメと言っていることを、この保育士さん自身が気づいていません。保育士さんと子どもがうまくいかないことを棚上げしているのです。

2.対人関係

「人間のあらゆる悩みは対人関係だ」とアドラーは言い切っています。
一般の心理学では、その人の心を分析していますが、アドラーは違います。

例: 兄弟でも性格が全然違います(親は知らない間に比較し、競争関係を強いている)知らない内に、「お兄ちゃんはね~」と言っている。その対人関係の中で子どもは行動を決めます。(その人の性格ではなく・・性格ですら対人関係の中で決まる)
勉強できる兄がいると困ります。弟や妹は「勉強は兄に太刀打ちできない。とても私にはムリだ」と思う。過去は聞きませんが、兄弟関係や対人関係は聞きます。
相談に来る人は対人関係に困っています。自分の周りの人が思い通りに動いてくれると思っています。でも、人は自分の思うように動いてくれません。世界にどのように対処するかの態度決定しないといけません。

現状追認と属性付与

校門で子どもを待っている母親がいます。子どもが駆け寄り、お互いが抱き合い「ママはあなたを大好き」と言う。しかし、そういう光景だけではありません。校門で待っているお母さんの姿を見た子どもが後ずさりしました。「お母さん好きじゃない?」と問うと、「うん」と子どもが言いました。「それならいいわ」とお母さんが言いました。この子は私のことを嫌いなのだと現状を諦めて認めてしまいます(現状追認)。
この世の中で強制できないものが二つあります。それは尊敬と愛です。この場合も母は諦める時に自分に言い聞かせています。「イソップのキツネの話」のように、あのブドウに手が届かない時、あのブドウはすっぱいに違いないと思って諦める。親が本当はどう思っているか子どもは困惑します。
あるお母さんは「でも私はあなたが私のことを好きに違いないって、知っているわ」(属性付与=「私を愛しなさい」という、親の命令になってしまう)と言う。子どもは「ノー」と言えない。そして、親が子を支配することに成功します。
他者からの評価 例えば「あなたは嫌な人ね」と言われる。「そうかな」と思ってしまう。肯定的な評価もあります。他者からの評価によって自分がアップダウンしています。他人の評価によって自分がアップダウンすると思う人がカウンセリングに来ます。
他の人がどう評価しても私は私です。自分は自分と言える人は強い。
「世界は自分の思うとおりにならない」と思うのがいいです。

例:世界が自分を拒否していると思い込んでいる人。

破壊的な行動をする人がいます。感情的になって、怒る、怒鳴る、地団太を踏んで泣き叫ぶ子どものようです。子どもを連れてスーパーに行くのは覚悟が要ります。子どもは「お菓子を買って」と大声を出し泣き叫びます。自分が気に入らないものを叩き、感情的になります。その方法は建設的方法ではありません。その方法では問題は解決しません。
建設的でない方法に対して、『泣かなくてもいいから、言葉で「お願いしてもらえませんか」って言ってごらん』と、言うと。「お菓子を買ってくれたらうれしいのだけど」と子どもは言います。
子どもは親の注目をひきたいだけです。要求が認められたら子どもは無理を言わないのです。その要求の仕方がよくないから、その要求の仕方の部分にアプローチします。
このような感情的な方法を大人になってもする人がいます。女性が感情的になって泣かれるといやですね。
人は自分のために生きてくれているのではない。この世界は私の期待をしてくれるために回っていないと思い、かつ、自分なりのすべきことをしていく。
外に出ると自分の思うような注目が得られないので、外出しない患者さんは外に行くとストレスを感じる。外に出て行くと誰も知らないから「私だけはみんなと関係していないのだ」と、所属していないという思いがある。
誰にとっても、居場所があることが大事です。世界の中に我々はいるし、家庭の中に居場所があるのは大事です。どこかに自分が所属していると安心感があります。知らない人の中で受け入れられるかを気にすると、すごく怖いです。
家族はいるのに、「ただいま」と言っても、「・・・・」返事がない。座敷童子状態は、辛いですね。娘が朝帰りした時に、「どこへ行ったの?」と言う。聞かれた娘は嫌かも知れないが、帰ってきても、そこにいるのにいないかのように無視されるのは嫌です。
自分の理解で人を包もうとすると、包めません。必ずはみでます。人を理解しようとしても、必ずはみだす部分があります。「娘の事は私が一番知っている」と言う人は、本当は娘のことを知らないものです。

貢献に「ありがとう」

レジ係りは「ありがとう」と、言ってもらったら嬉しい。ほとんどの人がありがとうと言ってくれないそうです。誰でも自分の貢献を認めてくれたら嬉しいものです。「~してくれて、ありがとう」と言える人になりたい。相手の今の行為に感謝する。

3.ほとんどの人は、敵ではない。

あの人は私が思っているようなことをしてくれないと敵視しますが、自分と同じ考えというのは気持が悪いですね。周りの人は怖い人ばかりだと思う人がいますが、他者は敵ではなく、私を必要な時に援助してくれる仲間です。
自分のことを好きになれないと幸福になれない。
自分のことを好きですかと聞くと、大嫌いだと言われる。どんな時に自分の事が好きだと思えますか?他の人に自分が役に立てていると思える時です。他者貢献していると思えた時が自分を好きになれます。
2006年に私は心筋梗塞で死にかけました。ベッドの中で、身動きできない状態が続きました。この様な私が人の役に立てていると思えるたのは、見舞いに来てくれた人の役に経っていたからです。僕は見舞いに行くのは好きです。他の人が貢献感をもてる援助ができます。「患者」も人に貢献している。そう思わないと自分を好きになれず幸せになれません。
父の介護をしています。父によって家族は統合している(父の貢献)。父のありのままを認める。不登校の子の場合も、現状も認めることです。とにもかくにも生きていたらOKです!
1年半在宅で父を介護しましたが、しんどいと言って逃げることはできません。父親は病気で介護が必要です。介護のしんどさから家族がけんかをしても、けんかをすることで家族は仲良くなれます(貢献)。親が亡くなった後に家族がギクシャクすることはある。我々も介護される立場になる。何らかの行為をするだけでなく、他の人が何をしてなくても貢献していると、そう思える人が、他の人の貢献を認めていける。
 生産的な人が何もできなくなったとき、今何もしてないその人に対して「勇気づけ」をする。父は認知症になり、できなくなった事が増えました。現状を認めて、それでOKと勇気づける。私は入院してみて、生活ができなくてもOKと思えるようになりました。
今日ここに来るだけでも大変です。講演の予定があると、この日に風邪をひいてはいけない。絶対病気はできないと思い、健康管理に気をつけます。こういう感覚って大事で、幸せです。皆さんとお会いできたのは幸せ。もしこれまでの人生が少しでも変わっていたら、「この場にいることはできない」。講演を聞いてくれてありがとうと思っています。
幸福は「遠くにあり、手に入れるのが難しい」ことではありません。

アドラーは「トラウマ」のことは認めていません。

トラウマはカウンセラーの仲間内では主流です。トラウマがその人に影響を及ぼしていないとは言えないが、その影響は決定的なことではありません。自然災害の体験は防げないし、痛手はないことはないが、トラウマに引っ掛かっていると、先に進めません。

例: 裁判員裁判制度

最初は軽い事件の裁判でしたが、今や重い事件の裁判も行なわれています。裁判員に一生重荷がかかる事があるから、無料で6回の臨床心理士のカウンセリングを受けられる制度ができました。そんなトラウマを起こすような大変なことなら、改善の余地があります。
戦争とか人為的なことは防げます。他人事だと思って、誰かがするだろうでなくて、私にできることはないか、世界で起こっていることに私たちが責任を持っていく。

生き方について

誕生から死ぬまでの道のりを効率的に生きて行く必要はありません。効率を求めていいものと、効率的に早く到達するのでなく、ゆっくり楽しんで道草していいものがあります。父の家までは15分の道のりですが、道々の自然に触れながら、カメラに収めようとしていますと、倍以上時間がかかっていることがあります。気がついたら1時間も経っていたりします。一生懸命過ごしていて、気が付いたら死んでいた。こんな生き方がいいですね。
今は精いっぱいカメラで道々の自然をとっています。楽しむには真剣でなければ楽しめません。子どもはゲームで負けそうになると「待って」とルールを変えたいと言います。ゲームは真剣にルールを守らないと楽しくありません。僕たちも真剣に、でも深刻ではない、自分が納得のいく人生を生きることです。

<質疑応答>

Aさん:つい「イラッ」とするけど、最近はイライラが少なくなった。

岸見先生:「イラッと」思ったら手遅れです。

A:イラッはどうしょうもない。イラッとしたことさえ前は思いもしなかった。

岸見先生:自分に起こっていることに気づくことは、それは進歩です。完璧な人は、イラッとした自分も責めてしまう。イラッする自分を見つけるイラッも必要なくなるのがベストだが、イラッに変わる方法を知らないだけ。イラッは無駄な感情です。
  感情をどうこうしようでなくて、イラッを通して自分は何をしようとしたいかを振り返ってください。私の思い通りにならない他者がいる。他者に対する期待を捨てきれない。相手に自分の期待しているように反応してほしいという気持ちを捨てる。
ことばでちゃんと相手に聞いてみる「今の私の言い方はどうだった?」。そう聞けるのは、いい関係です。相手に聞かないと忘れられません。問題が起こった時、自分一人で解決しません。やり方を変えていったらいいのです。イラッの感情は一日の中でわずかです。そんな時間があってもOKです。対人関係で言えば「イラッとしたから、1回大声出していい?」など伝えられる。

Q 同窓会に参加され、所属感のことがブログの「京都だより」に書かれてありましたが?

岸見先生:これまでに3回しか同窓会にでていません。私はお酒を飲めないから誰も勧めにも来ません。みんなで輪になって談笑していました。
所属感を持つためにはもっと話しかけに行けばよかったのですが、孤独でいることもその時いやではなかった。どちらでも選べる自分でした。どちらかでないといけないと、脅迫的に思わない。でも帰り際に担任の先生からの声掛けがあり、亡くなった人の追悼文集をもらって、心が暖かくなりました。

Q「現状追認」と「属性扶養」のどちらでもなく関わるには?

岸見先生:育児や教育は待ったなしです。何かが起こった時に何かしら行動しなければなりません。帰宅が遅い娘に「遅かったなぁ」と言うと、娘は「分かっている!」と返事します。怒られることを覚悟の上です。帰って来た事を知っているのに、何も言わないのは責任逃れです。いろんなやり方をやってもいいです。それを黙ってしまうのでなくて、「生意気言うんじゃない」と平手打ちしてみてもいいわけです。その後の展開に覚悟がいります。
別のやり方もあります。朝帰りして来た時に、「おかえり」と「おやすみ」だけを言う。3日くらいしてから「お父さんはあの時心配だった。遅いときは電話してくれないか」と伝えできることを伝える。子どもの行動に親はストップをできない。

A:責任を本人が持つことは、理解できるが、親としては子どもがこけない様にしたい。

岸見先生:親の課題と子どもの課題は違います。

A:失敗は私だけにしたい。子どもに失敗させたくありません。

岸見先生:失敗しない人はいません。どうすることもできないのです。あなたと子どもは別人格ですから諦めて。あなたの心配が子どもの人生に有害になることがあります。親は辛いです。親の心配が子どもに有害になるかもしれません。
親が子どもをコントロールできません。子どもに伝えるとこまでは親の課題ですが、それを聞いて子どもがどうするかはわからない。子どもの課題です。
それと、関心を子ども以外に向けてみませんか?という提案があります。

例:10年以上不登校の子どもの母親のカウンセリングの時。いつも携帯を身に着けていました。「携帯の電源を切ってみたら」と言いますと。「携帯の電源を切ったら子どもが死ぬかもしれない」と母親は言いました。「趣味はないですか?」と聞くと、「太極拳です」と言われました。携帯を常時持っていないと不安だった母親が、なんと中国の山奥に本格的に太極拳の修行に行きました。次に父親がカウンセリングに来ました。「仕事を放棄して会社が傾いたらどうするのですか?」と伝えました。
それから3年経って子どもがカウンセリングに来ました。「両親が構ってくれなくなったので不安になって、人生をどうしようかと相談にきました。」子どもは親が心配してくれるのは嬉しい事です。親が心配してくれないと不安です。親の子どもからの自立が必要なケースです。

Q てこづったケースのパターンは?

岸見先生: 経過観察として、定期的にカウンセリングをするケースがあります。息子が失踪したケースです。子どもの姿が見つからずにカウンセリングに来られました。私は仕事に就くことを薦めました。それでも「昨日は名古屋に行き子どもを探しました。子どもに似た姿を見かけたので声をかけたが別人でした」という報告をされていました。(7年後に・・・遺体が見つかった)白骨化していたが、遺体の側に小学校の時の水筒があったので、身元が分かりました。「どうしましょう?」「行ってあげてください。」
転院した先の若い女性医師から電話がかかりました。ケースについての相談でした。しばらくしてから病院からその医師が亡くなったと連絡が入りました。患者と距離をとらないと辛くなります。
目標の一致点があって終わる。終わる目安を作っておく。(長くて3ヶ月で終わる)

Q 自分を好きになる時は、誰かに貢献したと思えた時というのは、よくわかります。生きているだけで貢献というのはよくわからない。それで他者貢献できるのか?無理やりそう思っているのではないか?

岸見先生:介護はしんどいことですが、やるのだったら(向き合わざるを得ないなら)楽しくやる。関わる以上は楽しくやろうと自分は思う。こんなにしんどい!を態度で示すのは上手な方法ではない。介護を通して、20何年ぶりに父と向き合えたのは良かった。
介護がしんどいと思うのは。他の人を責めているのです。しんどい時は誰かに代わって欲しいと言えばいい。親とけんかした時は。あんな親の所に行きたくないと思う。その時「明日代わってくれへん?」と言えばいい。
いずれは自分も介護される立場になります。それに向かう意識を養っている。介護される人は無条件でOKです。自分の理想と違っても、ありのまま受け入れる。
たとえ親が亡くなっても、誰かが思い出してくれる間は、親は生きていると言えます。親の存在は不死という考えもできます。そんなことを考えるきっかけを、今、親は私に与えてくれています。

Q 大学の授業で学生5人の内、1人が遅れて来ます。つい、遅れてきた子に関心が行き、ここまでの話を聞いていないと、講義の内容が分からないだろうと、かいつまんで今までの講義の話をしています。授業料を払って来ているので、遅れてきた子に強く注意するには抵抗があります。

岸見先生:講義中に注意する必要はありません。彼女はあなたの注目を得ることに成功しています。時間や欠席に対しては学校のルールがあります。ルールに従い、彼女に注目しないようにすることです。後からレジメを渡したり、もう一度講義の内容を言わないことです。遅れて来る不利益を彼女自身が受ける事です。
中性の行為にたいしては、特権扱いをしないで、問答無用とルールに委ねることです。これまでのあなたのされてきたやり方でなくルールに従って下さい。誰もが確認できているルールで、知らない間にできているルールはダメです。守らなくていい人がいるルールは守れない。全館禁煙のルールがあっても、誰か一人が吸うとダメになります。

Q 「ほめずに叱らずに育てる」とは?

岸見先生:褒めるのでなくて子供の貢献に注目します。勇気づけです。

例:3歳の子どもを連れてカウンセリングに来られました。1時間も子どもはじっとできないと親は思っていましたが、思いがけなく、子どもが大人しく待てた。その時子どもを褒めました。何と言いますか?・・・「かしこかったね」と、言っています。夫婦でカウンセリングに来た。待ってくれた妻には「ありがとう」と言う。「かしこかったね」とは言いません。子どもは待てるのです。
「かしこかったね」は、上から下に言うことばです。子どもには何もしていなくても、貢献を見つけたら、「ありがとう」をたくさん言ってください。
懲罰行為をしない。一度ゴミを拾った時に褒められると、次にごみを拾らおうとするときに周りを見回します。誰も見ていないとしなくなります。「ほめる」ということを、期待して行動する子にならないように褒めません。褒めるのでなく「ありがとう」と言われるだけで嬉しいのです。

子どもを信頼する。

息子が冬に半袖、半ズボンで過ごしていた。近所の方から3人位に「こんなに寒いのに可哀想」と、言われましたが。子どもに任せているのです。子どもが自分で着るものを選んでいます。見ていると、本当に寒い日、子どもは厚手のTシャツを選んで着ています。
「子どもは親がいても育つ!?」子どもを邪魔しなければ、子どもは親がいなくてもちゃんと育つ。親が間違ったことをしても反面教師になりえます。「私のせいでこの子はこうなった」と言われるが、これはウソです。そういう方は子どもが成功した時に、私のおかげで子どもが成功したという。

「今」だけを考える。(明日はない)

この瞬間を生きる。ダンスはどこかに行くためにダンスをしているのではありません。今の瞬間の動きを楽しむためにダンスをしているのです。
私は、朝起きてすぐに冷蔵庫を開きます。そして、夕食を作る事を考えている自分がいます。夕食は、朝考えることではないですね。その時に必要なことを考えるのです。未来を思って不安になるのをやめましょう。未来を考えて予想通りになったことはありますか?明日はないです。病院に運ばれたときに、明日カウンセリングの予約があったと思いましたが、連絡できない状況でした。明日が来るのは当然でありません。明日が来なくても、今日を真剣に入院生活を送りました。
私の主治医は、誰からみても、激務です。私の手術が終わった翌日に回診が遅いと思っていたら。ヘリで患者が送り込まれて、緊急オペがあったそうです、オペを終わって汗まみれの先生が回診してきました。激務ですが主治医は楽しく過ごしています。「「病院」は私にとっては遊び場だ」と、医師は言われていました。その入院期間中が楽しかった。この入院で学んだ人生の楽しみ方を、今人に発信しています。 (文責:伊藤照良)